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【アラベスク】  第16章 カカオ革命



第3節 待ち伏せする日 [5]




「アンタ、サイテーだ。これだけ頼んでるのに門前払いかよ」
「ほう」
 威圧感をメラメラと漂わせる相手に、霞流は片眉をあげた。
「俺は事情は詳しくは知らねぇが、ツバサが兄ちゃんに会いたがってんだ。それをこんなところまで来てこれだけ頼んでいるのに、その態度は何だよ」
「これだけ頼んでいる? どれだけ頼んでいるというのだ? この小娘が二言・三言、お願いしますと言っただけではないか」
「それのどこが悪い?」
「誠意に欠けるな」
「じゃあ、どうすりゃいいってんだよっ! 土下座でもしろってのかよっ!」
 カッと頭に血を昇らせるコウ。ツバサが慌てて肩を抱く。
「コウ、落ち着いて」
 宥める姿に、霞流が目を細める。
「相思相愛といったところか?」
 言いながら視線は美鶴へ。
「羨ましい事だな」
 美鶴は口を尖らせる。
 お前も、俺とこんな関係にでもなりたいのか? まぁ、無理だけどな。
 そんな嫌味を込めた視線を真っ向から見返す。
 今は羨ましいとかなんて考えてる時じゃない。
「で? どうすればいいんですか?」
「ん?」
「彼が言うように、土下座でもすればいいんですか? 誠意が足りないって言ってましたけど」
「土下座、ねぇ」
 つまらなさそうに顎に手を当てる。
「断るね。見苦しいだけだ」
「じゃあどうすれば」
「俺としては、どうあっても頼みを受ける気は無いんだが」
 やおら顎から指を引き、ふと意地悪そうに瞳を光らせる。
「お前がそこまで言うのなら、少しだけ考えてやってもいい」
「え?」
「ただし、もちろん条件はある」
 喜びそうになる美鶴や他二人を眺めて笑う。
「それはお前次第だ」
「は? 私?」
 キョトンと目を丸くする美鶴へ向って少し身を屈める。
「一晩、相手をしてくれればいい」
 途端、身が硬直する。だが、それだけではない。
「言っておくが、相手は俺ではないぞ。お前などを抱くほど物好きではない」
「え?」
「候補は何人か出してやる。その中からお前が選べ。それくらいの自由はやる。だが、できるだけ金の取れるヤツを選べよ」
「そ、それって」
 血の気が引いていく顔を眺め、下卑た笑いを喉で鳴らす。
「どうした? 誠意ってヤツを見せてくれるんだろう? それとも何だ? 怖気づいたか?」
 答えられない相手に瞳を細める。
「だからお前は甘いんだ。俺から情報を聞き出そうというのなら、それくらいの覚悟、して当然」
「コイツ、ヤバいぞ」
 コウが唇を舐めながら唸る。
「大迫、冗談じゃねぇぞ、おい」
 右手を伸ばして美鶴の肩を掴む。
「おい大迫、コイツ何だ? どういうヤツだよ?」
「どういうヤツとは、ずいぶんな言い方だな。年上に対して失礼だぞ」
「うるせぇよ。売春なんて強要するヤツに失礼も礼儀もあるかっ」
 相手の言葉を一蹴するコウの態度に、霞流は軽く首を傾けた。
「ひょっとして、お前も唐渓か?」
「は?」
「そういう見下した態度はあの学校のお家芸だからな。そうか、お前ら三人とも唐渓の生徒なのか」
 ゆっくりと順番に視線を移す。
「これはこれは、(いじ)り甲斐がありそうだ」
 霞流と視線が合い、ツバサが思わず身を引いた。
「美鶴」
 ジャンパーを摘む。
「これってどういう事? あの人って誰?」
「おい大迫、これはいったいどういう事だ?」
 二人に背後から問い詰められ、美鶴は真っ直ぐに霞流と向い合う。
 甘かったのか。まさかこんな事になるとは思わなかった。
 霞流の見せる態度は、彼らしいと言えば彼らしいのかもしれない。頼みを聞いてやる代わりにこちらの条件をのめという発言は、今までにも聞いたことはある。だがそれは、相手が気に入らなかったり馬鹿だと虚仮にしたくなるような存在の場合だけだと思っていた。霞流は、例えば涼木魁流と一緒にいたフラワーコーディネーターのような、別に敵にまわす必要もないだろうと判断した人間には、たとえ心内ではどう思っていようとも、表向きは礼儀正しい。だから、自分は別としても、ツバサに対してはそれなりの態度で接してくれるだろうと思っていた。自分に対しては卑劣であったとしても。
 私の考えが甘かったという事なのだろうか。

「お前ら三人とも唐渓の生徒なのか」

 それとも、ツバサや、そしてコウまでもが唐渓の生徒だからか?
 かつて自分の価値観を(くつがえ)すような人間たちが(たか)った場所に通っている生徒だから? だから霞流さんはツバサたちにもこんな態度で。
 否定したい。
 霞流さんは本当はこんな人間じゃない。連絡先だって、本当はきっとすんなり教えてくれるはずなんだ。頼み方が悪かったのか? やっぱり富丘(とみおか)の家へ行って、木崎(きざき)さんや幸田(こうだ)さんを頼ればよかったのか?
「どうした?」
 霞流がチロリと瞳を動かす。
「こちらの条件を受けるのか? 受けないのか?」
「美鶴、この人ヤバいよ。何か変だよ」
 ツバサがグイグイと服を引っ張る。
「何だか知らないけど、こんな人は頼れないよ」
 霞流が半眼で見下ろす。
「そうやって上辺だけで判断するのも、唐渓の校則みたいなものだったな」
「う、上辺だけって」
 ツバサの頬が気色ばむ。
「美鶴、とにかくこんなところは離れようよ。こんなところでしか会えないような人に頼るなんて、私ヤダよ」
「そんな言い方しないでよ」
 気怠(けだる)そうに首を傾ける霞流の視線を受け、美鶴は思わず擁護する。
「別に悪い人じゃない」
「悪いもなにも、売春持ちかけるなんて、マトモじゃないよ」
「霞流さんはそんな人じゃない」
 途端、ツバサの身が固くなる。摘んでいた指の動きを止め、目を見開いた。
「霞流?」
 振り返る美鶴と目が合う。
「ひょっとして、この人が霞流さん?」
 しまった。
 まずそう思った。その後にすぐ罪悪感が身を包む。
 別に霞流さんがどういう人かなんて、そんなのツバサに知られてもいいはずなのに。なのに自分は、どうして霞流という名前を隠そうとしていたんだろう。
 隠そうとしていたはずだ。美鶴は、ツバサの前では彼の名前は呼ばないようにしていた。
 霞流さんは悪い人じゃない。人に紹介して恥かしいと思うような人じゃない。そんな人ではないはずなのに。
 耳の奥で、母の声が響く。

「霞流さんはやめなさいね」

 ギュッと拳を握る。
「そうだよ」
 短く答える。
「この人が霞流さん。智論さんが言ってた人」
「なにやらワケありのようだねぇ」
 暢気(のんき)な声が闇に沁む。
「モメ事や諍い事に巻き込まれるのは御免だけれど、見るのは嫌いじゃないんだ」
 霞流が鷹揚に両腕を胸の前で組み、ニヤリと笑う。







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